博多弁で深い連帯感〜多々済々の沖縄福岡県人会〜

糸嶺叡(福岡県人会顧問・沖縄証券常務)

福岡ダイエーホークスがリーグ優勝をした。四十一年ぶりの快挙である。われわれ福岡県人会も、今期あはお互いに乾杯とあやかった。最近のスポーツ・芸能界に福岡県出身者の台頭が目立っており、また政界においても将来の総理と目されている自民党の山崎拓氏が活躍している。同氏の後援会沖縄拓政会は修猷館高校の後輩、照屋英氏が事務局長として頑張っている。

昨年六月、在沖縄・福岡県人会を設立した。きっかけは当時三井生命沖縄市社長であった井上雅彦氏と博多弁を話す機会をもう少し作ったらどうかという話になり、同社の深町君を事務局長に三人が発起人となって準備にとりかかった。他府県の動向を聞いてみると、二十五の県人会が設立されているとのこと。徳島県人会の会則を参考にし、会員の資格は「福岡県出身者は当然として、他府県出身者で一時的に福岡県に居住し、福岡に愛着を持った人」とした。

第一回総会では三十人の出席で設立の運びとなった。総会において会長に黒江浩紹氏(ホテル西武オリオン社長)、副会長に福岡育ちの照屋林英氏(照屋法律相談所所長)、同じ山田市出身の笹尾修司氏(笹尾商工社長)が選任され、麻生福岡県知事の祝電もいただいた。自分も生まれは那覇市であるが、小学校、中学校は福岡市内の箱崎、高校は福岡高校に在学し約十カ年居住していたので会員の資格対象者である。自分が居住していた箱崎には九州大学が近い故もあって沖縄学生寮があり、国費・自費留学生として大田徳正、照屋寛春、伊地秩雄、真栄田節男、宮里康弘、真栄城優夫、伊波恒雄、普天間弘、伊野波盛仁、福仲憲他諸先輩が日夜勉学に勤しんでいたものである。

卒業後各氏とも沖縄県内各界で貢献している。思い出は別として第一回総会・懇親会では同郷、同窓の話は尽きず「あのくさ」「学校はどこやったと」「中洲ではよう飲みおったなぁ、ばってんあのママはせからしかったばい」などお互いに博多弁で話が弾み、予定時間を1時間もオーバーするほどの盛況となった。

第二回総会は今年二月に開催、第三回は去る九月午前中は親睦ゴルフ、夕方は総会ならびに懇親会を催し、総会で顧問に親泊一郎氏(沖縄セルラー社長)と私が選ばれた。大牟田出身で沖縄サミット推進事務局長山田文比古氏も出席し賑やかな顔ぶれで、再び博多弁で話が弾んだ。席上黒江会長は「会の目的にもあるように、地方の方々に郷土福岡県の素晴らしさを広く理解してもらいたい。またわれわれも地元社会への貢献に寄与し、いささかでも両県の交流の架け橋になるよう努力し有意義な組織として運営していきたい」と挨拶した。

方言は、対人関係を円滑にしたり表現に幅を持たせたる特異な役割があり、お互いが方言で話すことにより、連帯感うぃ深める役目を果たしているとのことではないだろうか。これからも博多弁でゆんたくする機会を多くしていきたいものである。

H11.11.10 琉球新報 <論壇>